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2013年 北医体Hokuitai


2013年 北医体Hokuitai

対 岩手医科大学 0−2 ×
対 福島県立医科大学 0−2 ×
         結果 0勝2敗 予選リーグ敗退

  • 悔しさの残った北医体

 春学連は全敗で5部に降格し、悪い流れの中やってきた北医体。4年生菅原の引退を飾ろうとして、なんとしても1勝したいという気持ちで臨んだ。春学連が終わってからはブロック強化を中心として練習を行ってきた。春学連から練習してきたブロック強化のために高さのある藤畑をセンターにおき、リベロに横井が入った。  初戦の相手は岩手医科大学。レフトエースを主体としたチームであり、昨年の北医体の決勝トーナメントの初戦でも戦った相手であった。その時は北医が勝利しており、去年の再現を目指した。  1セット目、序盤は北医のミスで立て続けに3失点し、試合開始早々に1回目のタイムアウトを取る。タイムアウト明けからは北医が3連続得点し立て直しに成功する。その後は藤畑のブロックが相手スパイクを抑え、菅原がスパイクを決めるなど流れが北医に来る。しかし、相手の粘り強いつなぎでなかなか点差を広げることができない。レフトの三國が強烈なスパイクを打つも、それを拾われそのまま相手のレフトスパイクが決まるようになり、徐々に相手のペースとなる。6−12となったところで北医が2回目のタイムアウトを取る。しかしその後も相手ペースは変わらず、点差が開いていく。終盤は北医のカットが乱れ、良い形で攻撃につなげることができない状態が続き、10−25で1セット目を落とした。  2セット目、序盤から北医のミスなどにより3連続失点するなど、前セット同様相手ペースのまま試合が進む。そして、3−8となったところで北医が1回目のタイムアウトを取る。タイム明けに相手のミスと菅原のサーブで連続得点し、相手の流れを切ることに成功した。しかし直後に北医のミスが続くと、そこを相手のスパイカーに付け込まれ徐々に点差を広げられていく。中盤、三國のスパイクが決まり始めるが相手のレフトスパイクに苦しめられ、一向に差が縮まらない。結局流れを変えられないまま14−25でこのセットを落とし、セットカウント0−2のストレート負けを喫した。  2試合目の相手は福島県立医科大学。スパイク力が強く多彩な攻撃で相手を翻弄するチームである。  1セット目、出だしは北医の失点から始まるものの、藤畑のブロック、続いて中島のサービスエースで連続得点する。その後は菅原がスパイクを決めて得点を重ねるが、相手のスパイクも決まり始め、両者譲らないシーソーゲームが続く。中島のカットが安定し、三國のスパイクで点をとる理想的な形ができていたが、相手も負けじと多彩な攻撃で北医のブロックを翻弄する。そして相手エースのスパイクが決めるようになり、徐々に点差が開き始める。3連続失点し、8−15になったところで北医が1回目のタイムアウトを取る。その後も相手の勢いは止まらずに失点を重ねる。しかしその中でも北医は相手の多彩なスパイクに対して粘り強くレシーブし、なんとかエース菅原がスパイクを打ち続け、最後にきわどいコースに決めるなど、随所に良いプレーも見られる。そのプレーで勢いに乗り、相手のミスにも助けら北医は3連続得点した。ここで流れが北医に来たと思われたがこちらのミスで失点し12−19となる。ここでリベロを横井から久保田に代える。富田のサーブや相手のミスにより北医が得点を重ねるも相手の攻撃も止まらず、差が縮まらない。終盤、三國のスパイクが決まるが結局差を詰めることができずに18−25で1セット目を落とした。  2セット目も1セット目と同じ布陣で臨んだ。序盤は両チーム譲らぬ展開。北医は自らのミスで失点してしまうが、すぐに菅原のブロックアウトや相手のミスで得点し点差を開かせない。しかし、相手のスパイクが決まりはじめ徐々に点差が開き始める。相手にサービスエースを取られ、2連続失点して5−9となったところで北医が1回目のタイムアウトを取る。タイム明けは菅原のブロックや中島のサーブで相手を崩し、3連続得点などで流れを引き寄せる。中盤に入ってからも北医の流れは変わらず、徐々に点差を縮めていった。しかしその後相手の攻撃が決まり始め、スコアが14−17となったところで、再びリベロを横井から久保田に代えた。しかし相手のレフトエースにスパイクを次々に決められ、終盤にはミスが重なり最終的に16−25で2セット目も落とし、セットカウント0−2でストレート負けを喫した。  今回の北医体は0勝2敗で予選リーグ敗退となった。目標の1勝を挙げることはできずチームとしての未熟さ、そして試合に勝つことの難しさを痛感させられた。まだ技術も経験も足りないチームだが、これからの練習でもっと強いチームになれるよう努力しなくてはいけない。またこの大会をもってエースとして活躍した菅原が引退した。本当にお疲れ様でした。

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